それでは、お社の前で神様に向かいます。
神様へのお願い事をする前に、
ご自身のご住所、御名前を神様にお伝えしましょう。
これは、
神様は、宇宙のすべてを管轄していらっしゃるので、その管轄している存在の数は計り知れないから、わかってくださりやすいように
という説が一般的です。
しかし、スピリチュアリズムでは、少し違います。
神様はすべての始まりであり、すべてを掌握なされていないわけがありません。
ただ、我々が神様に向かうときに、
気が荒く、大雑把な思いのままだと、神様と波長が合いづらく、祈りが届きづらい。
だから、自分自身、
「我、ここにあり。私は○○に住む、○○と言うものです」と、真摯にお伝えすることで、
人側が唱えることに集中するので、気が整ってくる。
そうすると、波長が整い、神様と波長が合いやすく(まさに、「まつり」)、
神様へ祈りが伝わりやすいと考えられています(祈りを叶えてくださるかは、また、別問題です)。
それでも、神様はあまりにも高く、きめ細やかな存在なので、果たして人側の祈りが本当に伝わるのでしょうか。
ご安心ください。
私達は神様から生まれ、
神様から一度として切り離されたことはありません。
今でも霊魂として、霊的なエネルギーで神様と繋がり続けています。
そして、人間側から真摯なる祈りを捧げる時には、
高級霊である、人間側の守護霊が中継して神様により深く祈りを届けてくださると言われています。
お社の前で自分の名前、住所を伝え、
お願い事の祈りを捧げる。
そして、ここからが重要です。
その、お願い事を
【天に委ね、自分の心から手放し、天に任せる】
のです。
この世のことはこの世で努力し、
この世で済ませます。
でも、この世でどんなに努力をしても、
何を頑張っても、どうにもならない時は、
もう、神頼みしかありません。
自分ではどうにもならないこそ、
神様にお願いをし、自らは手放し、
後は神様に委ね、お任せする。
自らの心の執着を手放し、
その後の暮らしは真摯なる思いで努力を続け、天命を待つ。
神様からみて、与えられる時であれば与えられ、
与えられない時であれば与えられない、となります。
初詣について⑧に続く