お待たせいたしました。
菅原道真公の続きです。
今回も出雲繋がりです。
菅原道真公も、出雲の神様も「祟った」のです。
菅原道真公は、冤罪により左遷され、太宰府にて失意のうちに亡くなられましたが、
この死因が、憤死、もしくは悶死と言われています。
憤死は、「怒り狂って死ぬこと」、
悶死は「苦しみもだえながら死ぬこと」、、、、
自らの心、霊魂の念の強さで、自らを命を破壊していったのです。
ということは、
死後もその念の強さで、人を殺めてしまうことも可能だろうと当時の人々は考えました。
その後、道真公の祟りが原因と考えられる事件が多々勃発し
、
極めつけが、藤原四兄弟が、道真公の祟りで亡くなったのではないか、と、先のブログに書きましたが、これは、長屋王の祟りでしたね、記憶違いでした、申し訳ございません。
菅原道真公の祟りとしては、
①都の落雷等がひどかったり(ここから、天神信仰と結びつけられました)
②疫病が蔓延
③菅原道真公の冤罪による左遷に関わった人達の突然死
等々、いずれにしても、
菅原道真公の怨霊を鎮めるために、
北野天満宮が創建されたのは、有名なお話です。
そして、出雲の大国主も、国譲りの際、まず、前以て「祟る」と脅しをかけています。
「天高くそびえる神殿を造ってくれたら、おとなしく国を譲り、鎮まりましょう」と。
裏を返せば、
「天高くそびえる神殿を造ってくれなかったら、国は譲らないし、暴れますよ」という事なのです。
そして、その後は、脅しだけではなく、現実に「祟った」わけですが、
それも一度だけではないのです。
大国主の祟りとして記載されている日本書紀の内容を一つ挙げますね。
それは、崇神天皇の時代のことです。
そもそも古代より天皇の役割は、「神様への祈り」。要は神事を行う事です。
その祈りの目的は、「日本の平和」「人類の平和」です。
従って、世の中が安定している時は、「素晴らしい天皇」と称えられ、
天変地異や疫病等で世の中が乱れると「天皇のせいで」と不平不満が出てしまう。
崇神天皇の時代は、もともとの人口が半減してしまうほど、天変地異や疫病が蔓延してしまいました。
そこで、当時、その理由を占った所、「出雲の神の大物主(大国主)の祟り」だと判明し、
大物主から「我が子大田田根子に私を祀らせるように」とのメッセージがあり、
その通りにしたら国がおさまったという話も有名なお話です。
菅原道真公⑤に続く