【1】
私は、10年以上前、
人から、「正木さん、話があるんですけど」と言われただけで、怖かったのです。
「怖い」という感情も、インナーチャイルドの本を読んでから、
「あ、私は【話がある】と言われたら怖いんだ」と気づきました。
インナーチャイルドの本を読む前の私は、
「話がある」と言われると、「絶対に私を責める、悪い話だ」
と、相手の話を聞く前から、決めつけていました。
実際には、良い話も、悪い話も聞いてみないとわからないのに。
私は、「悪い話」と決めつけ、
「話って何ですか?」と、身構えて答えていました。
そうなると、「話がある」と話しかけた方も、
「どうして正木さんは身構えてしまうのか」と、不思議がりながら、
普通の会話ができなくなってしまったのでしょう。
結果、その方と私の会話は、確かに悪い方向へ行きやすくなり、
私は、「やっぱり悪い話だった」という勘違いの経験を積んでしまう。
そこで、インナーチャイルドの本を読み、ワークをした私は、
「この、【話がある】と言われた時の、この、独特の心の感覚はなんだろう?」
そこを掘り下げることにしました。
「この、【話がある】と言われた時のこの、独特の感覚・・・・。
私はいつ頃から知っているのだろうか?」
と、ワークとして内観しますと、
幼少期・・・。3才頃からこの感覚を知っていることを確認出来ました。
そして、その3才頃のことを内観しますと、何故か【母親】の姿が出てきます。
思い出しました。全て思い出しました。
私の母親は、普段は、私に対し、猫なで声で話しかけていました。
子猫をあやすように。
しかし、叱る時だけ、「りさ、話があるからいらっしゃい」という言葉で話しかけていたのです。
日頃、猫なで声で私に話しかける母親が、
「りさ、話があるからいらっしゃい」
この言葉から1時間以上かけて、教育に感情を乗せて、怒り、怒鳴り続けました。
先だってのブログでも紹介しましたが、
①「親は絶対に常に正しく、親は絶対に自分を愛している」と、思いたい子どもは、
「それだけ、自分は価値のない人間。怒られて、殴られて当然の人間。」
と、子ども自身の人間としての尊厳が、めちゃめちゃに破壊されてしまいます。
当然、私も同じでした。
当時の私は、
「私を大切にするはずの親でさえも私を叱る、だから、怒られて当然の人間、叱られて当然の人間、となると、赤の他人も私を責めるだろう」
という思考回路が成立してしまったのです。
実際は、理由無く他人が私を責めるのであれば、
暴言、恐喝、ハラスメント等という犯罪になるので、なかなか起きないことなのに。
②そして、
「親は絶対に常に正しく、親は絶対に自分を愛している」と、思いたいので、
全人類の基本が、「親の姿」となります。
従って、「話がある」という言葉は、全人類が「私を叱る為に」人が使う言葉となってしまったのです。
インナーチャイルドのワークをした現在の私は、
実は今でも「話がある」という言葉が怖いです。
三つ子の魂百までもです(笑)
しかし、今は、その怖がる私に向けて、私自身が話しかけることができます。
「りさ。大丈夫。【話がある】という言葉を私を叱るために使ったのは、私の母親だけ。
目の前の人は、私の母親じゃない。
だからこそ、その話は、【良い話】かもしれないし、【悪い話】かもしれないけど、
【聞いてみないとわからない】。怖がるのは、実際に話を聞いた後でも遅くない。」
と、私の手のひらで、私の胸をなで下ろしながら、自分で自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる事ができます。
その上で、落ち着いた、フラットな気持ちで、
「お話って何ですか?」
と笑顔で聞くと、
大抵、「良いお話」なのです(笑)
【2】
これも10年以上前のお話です。
当時、とても懇意にしていた友人と、その友人の行きつけの御食事処に行きました。
私はインナーチャイルドワークを始めたばかりだったので、
幼い頃のトラウマから、強い人見知りがまだなおっていない状態でした。
その御食事処では、カウンターに案内され、腰掛けましたが、
私はとても緊張し、顔も体もこわばり、
お店の方々と一言もお話出来ずに、帰ってきました。
その二日後、その友人から電話が来ました。
「なんで、私の知っているお店で【高飛車な態度で、ツンツンしていた】の?お店の店主から文句を言われたじゃないか」
青天の霹靂でした。
私はただ、緊張していただけです。
それが、【高飛車な態度で、ツンツンしていた】となってしまったのです。
当然誤解なので、その御食事処に出向き、
深く話したら、様々な事が判明しました。
その店主の生い立ちの時に、その店主を母親が怒る時だけ、【無口になり、無視をする】方だったのです。
無視も虐待の一つです。
①「親は絶対に常に正しく、親は絶対に自分を愛している」と、思いたい子どもは、
「それだけ、自分は価値のない人間。無口になり、無視をされて当然の人間。」
と、子ども自身の人間としての尊厳が、やはり、めちゃめちゃに破壊されてしまいます。
「私を大切にするはずの親でさえも私を無視する。だから、私は無視をされて当然の人間。となると、赤の他人も私を無視するだろう」
という思考回路が成立してしまったのです。
②そして、その店主は、
「親は絶対に常に正しく、親は絶対に自分を愛している」と、思いたいので、
全人類の基本が、「親の姿」となります。
従って、「無口になる」という態度は、
全人類が「その店主を叱る為に」人がする態度となってしまったのです。
さて。
当時、インナーチャイルドワークをしていた私は、
店主にインナーチャイルドの本を提案し、プレゼントしました。
その本を読んでくださった店主の現在ですが、
今、私にとって、とても良い友人となりました。