〔2008年12月23日〕神様や霊魂の存在を信じなくても良いのです
自分を癒し、許し、愛しましょう。
そうすると、
自然と自分以外の家族、
他人を慈しみ愛する心が湧き出でます。
愛し愛され、大切に思いあう心を、全ての人々が思い出しますように。
〔2008年11月11日〕【私が私であるために】
「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」
あまりにも有名な、イエスが残した言葉。
私は本当に未熟者で、この言葉の一辺しかとらえる事が出来ませんでした。
しかし、ある日、背後霊からのメッセージを受け取りました。
「右の頬を・・・の真の意味。
それは、右の頬を打たれたからと言って、腹を立て、同じように相手の頬を打ち返したら、相手に影響を受けた上で、あなたがあなたらしくなくなり、殴る人に変わってしまいます。
あなたは本来、相手を殴る様な人ではないはずです。それを、殴られたという影響を受けたからと言って、本来のあなたではない人に変わって良いのですか?
右の頬を打ちたかったら、打ちなさい。左の頬を打ちたかったら打ちなさい。
打たれたからと言って、私はあなたに影響を受けない。私は生涯を通じて殴る人になる事は選ばない。それが私だから。という意味です。」
と、教えていただきました。
何があっても私は私。
全ての経験が、私が私であるための道しるべとなっていきます。
〔2008年03月10日〕救い
どんなに富を築いても、
一夜にして失うこともあります。
そして、その富を霊界に持っていく事は出来ません。
どんなに物質的な名声を得たとしても、
霊界では何の役にも立ちません。
本当に大切なこと。
それは、日々の心の平安、心の豊かさ、心の暖かさ・・・・。
この世においても、霊界においても、
魂の救い、そして、生きていくため、生き抜くための救いそのものが、
一番大切だと、私は思っています。
私は、今、あらためて、「救い」のために生きていく決心をいたしました。
魂の救い、それは、生きている方、亡くなった方に限らず、
本当に、本当に必要なことです。
そして、恵まれない子供達への救い。
カンボジアやベトナムでは
100円でエイズの子供のための高栄養の食事1日分になります。
300円で子供が1ヶ月学校で学ぶことが出来ます。
1500円で児童養護施設の子供1ヶ月分の生活費になります。
パキスタンでは
300円でウール70%の毛布6枚を支給することができます。
タイでは
100円で子供一人が一回病院の診察を受けることができます。
ミャンマーでは
270円で一人の子供に一年間に必要な学用品が揃えられます。
そして、地球環境の救い。
私が出来ることであれば、どんな救いにも関わらせていただきたい。
〔2007年09月12日〕全ては借り物
地球上の全ての存在。
全ては神様が創造したもの。
この自分自身の肉体でさえ、自分で作ったものではなく、神様が創造しました。
その神様が創られた肉体を借りて、私達は現世で生活をしています。
肉体は、実は私有物ではなく、神様からの「借り物」です。
だからこそ、自分で私物化せず、大切にしていく。
健康を管理し、肉体が真に喜びに溢れる環境を与えていく。
神様からの借り物だからこそ、大切に、ただ、大切に。
そして、私達の「感情」。
これも実は私有物ではなく、神様からの「借り物」です。
人間は、肉体の中に、魂を宿しています。
その魂は、「幽体」「霊体」「神体」と、三層になっています。
「幽体」は感情を宿し
「霊体」は理性を宿し
「神体」は英知を宿しています。
人間は死に、現世を離れるとき、現世で生きるのに必要だった「肉体」を脱ぎ、
神様にお返しします。
そして、魂(幽体・霊体・神体)のみとなります。
霊的な世界も「幽界」「霊界」「神界」の三層になっており、
まずは、「幽体」にて「幽界」での暮らしが始まるのです。
修行が進むと、「幽界」を離れるときが来ます。
幽界で生きるのに必要だった「幽体」を脱ぎ、神様にお返しするのです。
そして「霊体」にて「霊界」での暮らしが始まります。
修行が進むと、「霊界」を離れるときが来ます。
霊界で生きるのに必要だった「霊体」を脱ぎ、やはり、神様にお返しします。
そして「神体」のみで「神界」での暮らしが始まります。
これが皆様にも「神聖」が宿っていると言われる所以です。
「肉体」のみならず、
感情を宿す「幽体」も借り物。
理性を宿す「霊体」も借り物。
だからこそ、自分の「感情」に幸福を与えましょう。
神様からの借り物です。
喜び満ちあふれる感動を、「感情」に与えましょう。
だからこそ、自分の「理性」を自分にとって心地よい世界で生かしましょう。
神様からの借り物です。
自分自身の肉体、感情、理性に、
日々喜びを、幸せを。
〔2007年04月30日〕地球の悲鳴が聞こえてますか?
今や、日本はスピリチュアルブームなので、心(魂)*以下、魂に統一します*の在り方の研究をする方や、霊界通信をキャッチする為の方法手段を習得したい方が急増しています。
地位、名誉、財産に対する物欲を追求してきた日本の歴史を思えば、素晴らしい傾向です。
ただ、皆様それぞれの肉体も、そして地球も、
霊界通信同様に、皆様にメッセージを送り続けています。
「洗脳」という言葉があるように、魂はある程度ごまかしが効きます。
しかし、肉体は、一切ごまかしが効きません。
苦手な仕事を続けたり、肉体を酷使すると、魂では頑張ろうと思っていても、体がだくるて結局仕事を休んでしまったり、或いは、実際に病になってしまいます。
暴飲暴食を続けると、肉体は壊れてしまいます。
因果応報。
神様は罰は与えません。
今世の出来事は全て、自分自身の日頃の行いの結果です。
魂と肉体は連動しており、魂が気づけない、本来の魂の状態を、
肉体が悲鳴をあげて教えてくれます。
肉体の病は、魂の状態を示す、サインです。
肉体の不調は、魂の不調なのです。
そして、地球・・・・
この世、この地球は、魂が肉体をまとい、修行をさせていただける場所です。
現実の世界、この世、この地球があるからこそ、たくさんの実体験が可能となります。
魂の在り方が全て肉体に反映するのと同様、
この魂の修行の場である地球、この世の出来事全て、自分たちの日頃の行いの結果が反映します。
肉体だけでなく、地球も、魂を映し出す鏡なのです。
世界各地での異常気象。
天変地異。大気汚染。
そして、あまりにも激しい、貧富の差。
貧困や病にあえぎ、死に行く子供達。
至る所にあふれかえるゴミ。
これらは全て、私達、一人一人の魂の在り方の結果です。
他人事ではありません。
私達の魂を肉体が映し、地球が映しだしています。
魂、肉体、地球、全て繋がり、連動しています。
ブラザーサン、シスタームーン。
インディアンも、アッシジの聖フランチェスコも、
全ての繋がりを説いていました。
太陽は兄弟、月は姉妹、
大地は私達の肉体と同じ、川の流れは血管と同じ。
全て一体。
だからこそ、無駄な殺生、無駄遣いは、絶対にしない。
生きもの、植物、動物の殺生は、命を生かす目的の時だけ。
その命のために、命を落としてくれた生きもの。
その犠牲に、心からの感謝の祈りを捧げつつ、ありがたく、ありがたく、食させていただく。
シルバーバーチも、インディアンです。
スピリチュアリズムの勃興の真の目的は、人間の魂を救うだけではないはずです。
人間の魂と共に、肉体そのもの、地球上の全ての存在、地球そのものを救うためにあるはずです。
皆様、どうかお願いです。
自身の肉体の叫び、そして、地球の悲鳴に耳を傾けてください。
〔2007年03月06日〕 願い
古代文明の時代、人間はもっと霊的に精妙でした。
今よりももっと、霊的に神に近い存在だったのです。
エジプト「死者の書」、旧約聖書や、古代の遺跡。
一般の人々が霊界通信をしていた事実が、遺されております。
しかし、その時代時代の時の権力者が、地位、名誉、財産を独占したいが為、
霊界通信の行為を独占し、禁止してしまいました。
イエスもその為に、磔になってしまった。
特にイエスは、「皆が霊能力者、私が出来る事は皆が出来る事、
だからこそ弟子も育てていく」と、霊界通信の行為を一般化していこうとしたので、
教会としては脅威の存在となってしまったのです。
その後の「魔女裁判」も、「魔術条令」なるものを制定し、「魔女」と見なされる人々が断罪されています。
「魔女」=霊能力者という事は、皆様もお気づきの事と思います。
何故そういった事が、まかり通っていたのか。
それは、古代の昔は科学が発達しておらず、学問も一般化されていなかったので、
時の権力者が発信する情報を、一般民衆が鵜呑みにしてしまっていたからと言われています。
所謂、「盲信」です。
しかし、何故、スピリチュアリズムの勃興が1848年3月31日の「ハイズビユ事件」まで待たれたのか。
それは、世の中の科学の進歩と、学問の普及が土台として必要だったからと言われています。
科学の進歩と学問の普及により、一般民衆が、「頭から鵜呑みにして盲信せず、自分で考え自分で結論を下す」事が出来るようになるまで待たれたのです。
今、日本では、空前のスピリチュアルブームです。
マスコミ各社がこぞって、スピリチュアルな話題を全国に提供しています。
しかし、私はこの流れに少々、危険性を感じています。
マスコミが情報を乱発することにより、全国の皆様が、「盲信」に走りやしないかと、
とっても心配なのです。
科学や学問の浸透を待ってのスピリチュアリズムの勃興。
それは「盲信」しない為でもあるのです。
霊的な現象を否定するつもりは、毛頭ありません。
霊界は実在しますし、だからこそ、霊的な現象も存在します。
ただ、何かしらの現象が起きても、すぐに「霊のせいだ!」と決めつけず、
「物理的な現実」を確認していただきたいのです。
体の具合が悪くなった時、すぐに「霊のせいだ!」と思うのではなく、
「病院へ行って確認」していただきたい。
何軒も病院を回って、現実を科学的に、学問的に確認しても、
それでも「原因不明の病」と、医師の診断がなされた時に初めて、
「霊が関わっている【かも】しれない」と、
最後に病の原因を霊的なものと結びつけても、決して遅くはないのです。
そして、スピリチュアルカウンセラー、霊能力者は所詮、人間です。
霊界通信を100%正しく受信しているとは限りません。
当たっていても、せいぜい60%に過ぎません。
当たっていない40%の可能性の中で、「あなたのオーラは赤いです。」
とお伝えすることもあるのです。
高級霊は、
「いくらでも私を疑いなさい。いくらでも私を否定しなさい。それで構わない。
あなたがどんなに打ち消しても、打ち消しても、心に残ってしまう言葉。現実として残ってしまう現象。それを自分自身の心の良心に照らし合わせ、受け入れられる事だけ受け入れれば良いのです。受け入れられない事は受け入れなくて良いのです。」
と、常日頃おっしゃいます。
「盲信」が加速してしまうと、「霊感商法」などが横行し、それらを鵜呑みにしてしまう方も、増えてしまうかもしれません。
どうか、私を含め、スピリチュアルカウンセラーのお伝えすることを盲信せず、
参考意見にとどめて下さい。
皆様の「理性の目、現実の目」で、ふるいにかけ、考え、判断してください。
人生は「自己責任」なのですから。
〔2006年06月04日〕私こそ、感謝の日々です。
毎日、ご相談者とお会いし、霊界のアンテナとして、メッセージをお伝えする。
ご相談者は、お帰りになる際、皆さん、「ありがとうございました。」と、おっしゃってくださる。
なんと、畏れ多い事でしょう。
皆さんはお食事に行かれたとき、「ごちそうさま」とはおっしゃっても、「ありがとう」とおっしゃいますか?
洋服を買って、お会計をすませたとき、「ありがとう」と、おっしゃいますか?
私は、1時間に対し、12000円という、ご相談料をいただいている。
それなのに、その上、「ありがとうございました」という言葉もいただいている。
なんて、本当に、なんて、畏れ多い。
私はただのアンテナにすぎません。
感謝はどうか、皆様の背後霊、そして、皆様の魂に向けてください。生きていくということ
本文 スピリチュアルカウンセラーとしての、日々のご相談。
霊界の道具となり、メッセージをお伝えする。
大学では心理学を学び、霊界のメッセージを心理学上でも裏づけを取る。
物理的には、休む時間は全くありません。
これで一杯一杯と思っておりました。
充実感もあり、この生き方は正しいと思っておりました。
ただ、3日前に、事務所近くの菅原神社での瞑想中に、ふっ、と考えました。
今の私は、見方によっては、ひとつのレベルの中で生きている。
時間的には忙しくても、現状維持とその裏づけのために生きているとも言える。
常に霊界の道具となって生きていても、その先は?私自身の進化向上は?
もちろんスピリチュアリズムから考えても、「今を生きる」ことはとても大切なこと。
「今」の積み重ねが「未来」へつながる。
しかし、人は
1、なぜ生まれたのか。
2、なぜ生きているのか。
3、なぜ生きていくのか。
2~3日前までの私は、1、と2、は即答出来ても、3、を即答することが出来なかったのです。
唖然としました。
その時点の私には、生きぬく上での目標が無い。
そこで初心に立ち返り、なぜこの仕事を選んだのか。
なぜ、現在続けているのか。
だからこそ、将来自分はどうありたいのか。
丸2日間、今の自分を取り巻く環境、現実と照らし合わせながら、自問自答を繰り返しました。
そこで霊視の中に浮かんできたのは、マザーテレサの姿。
日本古来の神主の姿(審神者としての姿)。*注:1
そして現在、いらしてくださるご相談者の方々の、ご相談内容。
最後に、日本のホスピスの現状。
これらの映像が見えたときに、やっと、自分のこれからの道がわかりました。
やっと、私がなぜ生きていくのかが、はっきりしたのです。
すると、どうでしょう。
疲れきっているはずの私の心と体に活力が蘇り、
喜びに満ち溢れ、神に感謝しないではいられなくなりました。
当たり前のことのようで、はっきり意識するのを忘れがちな、
「なぜ生きていくのか」ということ。
でも、それを得心するだけで、自身の足元から道が開け、その道が先の先、はるか彼方へと永遠につながり、
それまでの迷い、不安さえも一切昇華してしまう。
「生きる」だけではなく、「生きていく」ということ。
皆様も一度、お考えになってみてくださいね。
私のこれからの道に関しては、後日、お話させていただきます。
*注1 審神者とは
大昔の神道では、皇后(巫女)が神様を霊媒し、天皇がその神様と話をし、ご神託を賜るのが常でした。
その時天皇は、皇后に降りてきた神様が、本当に高級霊か低級霊なのか、霊能力と霊的な知識で判断しておりました。
その天皇の役割を「審神者」といいます。
〔2006年02月21日〕プラスとマイナスの狭間で
霊能力者は、人の子です。聖人君子ではありません。
私は、
高い志を持ち続けようとしても、萎える時があります。
日々良い行いを心掛けても、結局、人を傷つけてしまう時があります。
お金の大切さを頭では理解していながら、散財してしまう時があります。
感情的に怒り狂ってはならないと知っていながら、止められない時があります。
有言実行するつもりでいても、有言不実行をする時があります。
天使のささやきだけではなく、悪魔のささやきも耳にします。
日々、プラスの心とマイナスの心の狭間で、右往左往しています。
時に、霊能力者として、これでよいのかと、自分を責め、苦しむ時もあります。
ただ、そこで、
「プラスの環境のままでいても、何も学ぶことは出来ない。
マイナスの環境のままでいても、何も学ぶことは出来ない。
両方を経験するからこそ、それぞれの意味、有り難さを理解するに至る。
両方を行ったり来たりするから、魂が篩われ(ふるわれ)、磨かれていく。
これは、生まれ変わりのシステムと同じ。
前世で人を殺した人は、今世で自分が殺されるか、大切な人の死によって、生命の尊さを知る。
人は両方を、全てを体験するからこそ、魂が磨かれてゆく。
人は誰も皆、マイナスな心やマイナスな環境に陥る時がある。
そこで、しっかりと悔い改められた上で、プラスに向かえるかどうか。
その時に、マイナスの有り難みを忘れないでいられるかどうか。
常に心篩われ、震われる思いを忘れないでいられるか。
そこが一番の課題である。」
と、霊界の方々がおっしゃってくださいました。
皆さん。
できない自分、だめな自分をどうか責め続けないでください。
人間ですから、完璧ではありません。
間違えたら、失敗したら、人を傷つけたら、
しっかりと悔い改め、謝罪し、その経験を生かし、前を向いて歩いていきましょう。
〔2006年02月20日〕日本でのスピリチュアリズム普及の、霊界の本当の意図(今後、加筆の予定あり)
心霊研究の本場イギリスでは、たくさんの優秀な霊媒(MEDIUM)が輩出されているのは、周知の事実です。
sitting(スピリチュアルカウンセリング)の料金は30分7000円ですし、優秀な霊媒がたくさん存在しているので、とても気軽にsittingを受けられます。
また、いたる所に「スピリチュアリストチャーチ」があり、demonstration(公開sittng)が常時行われており、大体、一人1000円以内で参加できます。
イギリスでは霊的な世界の存在はとても自然なことで、いつでも、どこででも、とてもよい環境で、霊的な世界に触れられます。
今までの日本では、霊的な世界は、特別な能力を持っている人間だけが触れられる世界という、大きな誤解がありました。
しかし、近年のスピリチュアリズムの普及により、霊的な能力は実は誰もが潜在的に所有しているものであること、実は特別な能力ではないことを知ることができ、その誤解は解けてきている様です。
人間は皆、霊媒や霊能力者としての資質を潜在的に持っています。
だからこそ、
【1】たくさんの霊媒やたくさんの霊能力者を輩出すること。
*たくさん輩出されれば、本当の意味で特別な存在ではなくなり、高額な相談料をいただくこともできなくなるでしょう。
【2】皆が霊的な世界に、もっと気軽に、もっと自然に、当たり前のこととして触れられ、自分の人生の責任は自分にあること、でもそこには神の愛があり、守られていることを知ること。
*だからこそ、神だ、霊だ、背後霊だという、表現はではなく、もっとより現実的な、現世的な表現に変わっていくでしょう。なぜなら、霊の存在は当たり前であり、われわれと存在を分けるものではないからです。
【3】日本にあらためてスピリチュアリストチャーチを作る必要は無いと思います。
日本には古来から霊的な場所がたくさんあります。
神社、仏閣、教会。そういった環境でそれぞれがそれぞれの信仰心の元に、霊界と触れる時の魂のあり方を知ること。
*ただ単純に神様と愛し合う時間。人が無になり、ただただ、神に向かう時間。祈り。瞑想。心と体の新陳代謝のためには、とても大事なことです。
以上のことに、私は、近年のスピリチュアリズムの普及の、神の意図を感じます。